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サンタンジェロ城の歴史を小学生でもわかるように解説!!

このサイトではサンタンジェロ城を小学生でもわかるようにしょうかいしているのでぜひ見てください!

目次

サンタンジェロ城のはじまり

  • 紀元135年、ローマ皇帝(こうてい)ハドリアヌス によって自らと家族のお墓として建設が始まりました。
  • 紀元139に完成しました。

どのように使われてた?

  • はじめはローマ皇帝ハドリアヌスが、自分と家族のために建てた大きなお墓でした。
  • その後はローマを守るための「戦いのためのお城」として使われました。
  • ローマの一番大事な教会(サン・ピエトロ大聖堂)とトンネルでつながっていて、敵がせめてきたときに逃げこむ場所になりました。
  • 牢屋(ろうや)として使われる時代もあって、悪いことをした人や、教皇にさからった人を入れておく場所になったこともあります。
  • 今は博物館(はくぶつかん)になっています。だれでも見学できて、中には昔の武器や絵、きれいな部屋が残っています。屋上に上がるとローマの町がよく見えるよ!


名前の秘密

  • 590年、ローマで病気が広がったとき、教皇が「大天使ミカエル(天使のリーダー)が、このお城の上で剣をしまう姿」を見たと言われています。
  • それをきっかけに「サンタンジェロ(=天使)のお城」と呼ばれるようになりました。

今の清水寺ができたのは?

  • 今の清水寺の大きな建物は、400年くらい前の江戸時代、徳川家光(とくがわ いえみつ)という将軍によって作られました。
  • とくに有名なのが、「清水の舞台(ぶたい)」という高い場所にある木のステージです。
  • この舞台の高さは約13メートル!ビルの4階ぶんくらいです。「清水の舞台からとびおりる」という言葉は、「とてもおおきな決心(けっしん)をする」という意味で使われています。

モデルコース

  1. 一階の古代のお墓の土台を見ることができます。
  1. 2階で教皇の部屋と絵を見学できます。
  1. 屋上でローマの景色を写真に収めることができます。

サンタンジェロ城の歴史まとめ

ポイントのまとめ!

139年お墓として使われていました。
中世町を守る要塞になりました
1527年ローマがせめられ、教皇がここへ逃げ込みました。
その後牢屋(ろうや)として使われました。
現在だれでも見学できる博物館(はくぶつかん)として使われています。
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